サステイナブルな医療を目指して
東京大学公共政策大学院特任准教授 佐藤智晶
5. 医療制度改革、新たな一歩を踏み出す
過去4回の中で、超高齢化社会を迎え、日本の医療をよりサステナブルなものにするために、アカウンタブル・ケアを例としたパフォーマンスベースのインセンティブによる介入という考え方、その他いくつかの取り組みについて触れてきた。
日本でアカウンタブル・ケアを導入する場合の最終的な課題について、佐藤講師は以下のように語る。
「医療制度を変えようと考える時、一番大きな問題は、『日本の医療が世界に冠たるものであり、従来の制度を変えることは良くないことだ』と考えている部分が、我々の中に少なからずある点ではないかということです。将来のことは統計上から推測はできても、実のところは誰も分からない。その中で従来の制度を変えるというのは確かに怖いですが、この先により良いものがあると思って一歩を踏み出すかどうか。その一歩を踏み出すための後押しがインセンティブなんだと思います」(佐藤講師)
国民皆保険制度が作られた1960年代当時と現在の日本では、明らかに社会状況は変わり、当然、健康に関する意識も変化している。それにも関わらず、われわれ自身の「マインドセットの転換」が最初の問題として挙げられた。要するにそれだけ根深い問題だということかもしれない。
二つ目はアウトカム、つまり「結果」の目標値の設定だ。たとえば、癌の5年生存率を現在の水準から何%まで上げるかなど、具体的な数値目標を決める。ここでさらにコストの目標値も設定できれば、医療費適正化などにもつながっていくだろうとブルッキングス研究所は指摘している。
パフォーマンス評価に基づいたインセンティブ
新たな世界へ進むために背中を押してくれるというインセンティブ。アカウンタブル・ケアではパフォーマンスの評価に基づいてこれが付与されるため、医療サービス提供後の結果の測定つまり評価が必須となる。これが非常に難しい。従来は医師が診察データなどを見て患者の健康状態が良くなったのか悪くなったのかを判断・評価してきたわけだが、この部分をアカウンタブル・ケアでは大変革した。事後評価アンケートを作成し、項目の約半数を患者満足度に関する内容にすることで患者自身が自分の受けた治療の成果を評価できるようにしたのだ。
「患者満足度は医師の技術的な問題だけではなく、その患者と医師との信頼関係はもちろん、患者の気持ちの浮き沈みなどにも左右される場合もあるので、測るのがとても難しいです。でも難しいからといって患者満足度を評価項目に入れないのかと言えば、それは違うと思います。究極的には患者さんに『よかった』と思ってもらうのが医療サービスの目的なのですから。」
欧米では最近、患者のためを思い、医者と患者の間で気兼ねなく満足して話し合える関係性を築くことが重要だという考えの表れから、「医師-患者関係」ではなく、「患者-医師関係」と呼ぶようになっているという。医療サービスの目的を改めて示す言い換えということなのだろう。
新制度へ参加しやすい仕組みをつくる
課題の2つ目として挙げたのが「制度設計の変更」。何か一制度を変えるだけでは効果は薄く、関連する制度を含めた「大規模な変更」が必要だと佐藤講師は言う。米国では、新しい制度設計をした上で各ステークホルダーがその体制に入っていきやすいような仕組みを作り、段階的にアカウンタブル・ケアの導入を進めていった。まず全病院にアカウンタブル・ケア導入への参加募集を呼びかけ、「導入する」という意思表示した病院だけを対象にしてスタートした。そして各病院への達成目標を、1年目は報告のみ、2年目は医療サービスの提供後の評価項目(全33項目)のうち20項目程度を達成目標に設定した。そして3年目、ようやく本来のアカウンタブル・ケアが行うべき全33項目での事後評価を実施し、高いパフォーマンスを上げた病院にインセンティブを付与するようにした。こうして多くの病院が参加しやすいように順を追って段階的に制度を導入していったのだ。
「アメリカのうまいところです。単純にインセンティブを付与しただけじゃないんですよね。新制度への参加者をごく一部から始めて段階的に増やしていくとか、こういう方法は、日本はもしかしたら苦手かもしれないですね」(佐藤講師)
制度設計の変更の動きはすでに日本でも始まりつつある。2003年から日本でも導入された医療費の疾病群別包括払い(DPC)制度の導入もその一つといえるだろう。包括支払いはアカウンタブル・ケア運用の前提となる制度であり、日本でも包括支払い化が進んでいる。アカウンタブル・ケアを受け入れやすい土壌が徐々に整いつつあると言えるだろう。もちろん、包括支払いのすべてが良いわけではないが、アメリカでは包括支払いを採用して以降、年間380億円の医療費削減を実現した。包括支払いが出来高払いの診療報酬制度によって生じた不都合を解決しうる措置の一つであることは実績で示されている。
健康で、長く、より良く生きていく
財務省の見解では、従来、医療費増の主な原因は「高齢化による自然増」と「医療技術進展に伴う費用の高額化」の2つだとされ、特に高齢化による自然増はやむを得ないものと判断されて厳しい抑制は行われてこなかった。しかし、アカウンタブル・ケアの立場では、「自然増は本当にやむを得ないものなのか?」と疑問を投げかけ、今までとは違った発想でアプローチする。たとえば、高齢者の疾病傾向を調べて患者への介入方法を検討し、より良い薬や医療機器を使ってみたとしよう。開発のための一時的な支出が増えるけれども、効果が上がって、より長く健康でいられるかもしれないし、健康寿命が延びることで長期的には医療費総額抑制ができるかもしれない。ユートピア的な発想ではあるが、新たな社会創生のためのビジョンを描いてみることが既存の固まった発想から抜け出るには必要ではないだろうか。
「どうしたら私たちはより長く健康に生きられるのか。もう一回、ここで問い直してみるのはどうでしょうか。欧州もアメリカもInvesting in Health(健康投資)、つまり予防も含めて健康に投資するという形の政策を進めていて、世界中で同じような動きがあります。個別化医療が進み、今までは医師しか持っていなかった情報を患者側も持てるようになりました。今後は互いが情報交換を活発にすることでhealth-conscious(健康を意識すること)になりやすい世界をどのように作っていくのかが重要になると思います。」
より長く健康で充実して生きることは人類共通の願いだ。それを支える医療制度。50年以上に渡って国民皆保険の恩恵を受けて、破たんを目前にして改めて、手厚い現行医療制度のありがたみを知ることとなったが、これに気付かないまま突き進めばその日はより早まっただろう。現状への危機感の共有と早急な改革が急がれるが、この医療制度改革をただ焦燥感だけが募る「瀕死の旧制度の緊急手術」ではなく、世界に冠たる制度を「また新たに生み出す」ことだと考えてみてはどうか。良薬は苦いが、必ず結果が出ると希望を持つから飲めるという。医療制度改革の先を行く各国での実例から学び、医療提供側と患者、国、企業が、互いに苦い部分を受け入れ合いながら利益を得て、超高齢化社会を支える新たな制度を確立する時だろう。一歩踏み出すことを躊躇する時間はそう多くは残っていない。
日本が最後に取り組むべき3つの課題
1.―医療制度に対する日本人のマインドセットの転換
2.―新たな制度設計下での診療報酬制度や医療法などを含めた新しい仕組みの創生
3.―患者自身のヘルスコンシャスに対する意識向上
読者の皆さんはどのようにお考えになるだろうか。
(インタビュー 藤田正美、記事構成 柴田祐子)
-参考-
● 疾病群別包括払い(DPC)制度
DPCとは Diagnosis Procedure Combinationの略。平成15年度より特定機能病院を対象に導入された、急性期入院医療を対象とした診療報酬の包括評価制度。患者の診断群分類によって診療報酬が決まるため、出来高払い制度が治療にどれだけの費用が掛かったかで報酬が決まっていたのとは対照的。平成24年時点では日本国内全一般病床の約53.1%を占めている。欧米では広く普及しており、米国の医療保険制度改革(通称:オバマケア)における医療費削減手法として提案された。2009年のOECD対日審査ではDPC払いと出来高払いを組み合わせた日本の現行制度への指摘とDPC適用範囲の拡大を促す勧告を受けた。