サステイナブルな医療を目指して

東京大学公共政策大学院特任准教授 佐藤智晶

医療費の増大は、どの先進国にも共通する深刻な問題だ。世界で最もGDPに占める医療費の割合が高いアメリカでは「アカウンタブル・ケア」という新しい考え方を実験している。これが日本にとっても「一筋の光」となるのだろうか。

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健康・医療
佐藤智晶
photo:Ryoma.K

1.「アカウンタブル・ケア」とは何か

 アカウンタブル・ケアという言葉自体は新しいが、考え方としては昔からあったものだと、2014年7月7日、8日に開催された東大・ブルッキングス研究所による「健康・医療シンポジウム」を中心になって企画した佐藤智晶特任講師は言う。医療政策のポイントは、「より多くの人に、より質の高い医療サービスを、より安価に提供する」ことだ。しかしこの3つはトリレンマとされ、すべてを満足させることはできないと考えられてきた。この医療政策におけるトリレンマに真正面から取り組み、「世界で初めてひとつの解決策を示せたのがアカウンタブル・ケアだ。」(佐藤氏)

 「2年前に米国で初めてアカウンタブル・ケアに出会った時、衝撃を受けました。財政支出の点から考えると、医療制度の問題は議論を重ねるほど気持ちが暗くなることもあるのですが、一筋の光になるのではないかと思ったのです。」

 アカウンタブル・ケアの最大の特徴は、アウトカム指標の中に患者の満足度を医療費に組み込んだことである。従来、医療費は医療サービスが提供された量に対して支払われてきた(その保険上の単価は中央社会保険医療協議会が決めている)。この「出来高払い」は、時にやや過剰とも思える医療サービスにもつながる。また患者の側もそれを「安心」ととらえたりもする。たとえば、「念のためにこの数値を調べておきたい」と追加される検査や、「飲んでおくと感染症の可能性が低くなるかもしれない」と処方される薬。それぞれ意味あるものではあるが、積み重なれば医療費は増える一方だ。

 最も簡単に説明すると、アカウンタブル・ケアでは、まず初めに各患者について、一定程度の医療費の削減額と治療効果(患者満足度を含む)の目標値を設定する。医療サービスの提供後に、「医療費の削減」とアウトカム、この両方の目標値をどの程度達成できたのか評価し、達成できた医療従事者や医療機関には国、医療提供グループ、民間の保険会社などから特別ボーナスが付与されるという仕組みだ。医療従事者側にとっては目標達成時の追加ボーナスというインセンティブがあるため、医師は提供すべきものはするが不要なものはしないという判断をすることになる。患者の満足度を含むアウトカムを上げることと、コストを抑えることを両立させなければならないのである。より効率的で質のいい医療の提供を目指して、工夫と努力が必要ということだ。他方、患者は一定の質が保たれた医療サービスを、これまでよりも安価に受けられるようになるのだ。

 ここで重要なのがインセンティブを与える際の「評価」である。これについては、現在、達成すべき項目は決まっているものの、その評価方法は各医療提供グループに任せられている。今は実証段階であるため、より良い方法を探し出して、今後全体に展開しようといと考えている。評価方法の中には患者へのアンケートが含まれ、アウトカム指標の半数以上の項目が患者満足度に関する内容だ。「ここが非常に革新的だ」と佐藤講師は言う。

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 「医療サービスを評価する時、これまでは『医師がプロとして良い医療を提供したとは言えても、患者が良い医療を受けたのかは分からない』というのが一般的な考え方でした。でもアカウンタブル・ケアでは、患者自体がよい医療を受けたと感じているのか、『アンケートで何%以上なら達成した』と測れるようにした。ここまでインセンティブスキームを組み込んだソリューションプランは世界初。これがそのまま日本に導入できるわけではないが、一つの答えを示しているという点で大変興味深いと思います」

 プログラム開始から1年で約380億円の医療費を削減することができた。必然的に増える方向にある医療費がいくらかでも削減できたのは大きな驚きである。もちろん減った理由の全てがアカウンタブル・ケアに起因するものとは言えない。しかし、これが衝撃的な数字であることは事実だ。この米国発の医療政策が、日本の現状を打開する少なくとも一つのヒントになることだけは間違いなさそうだ。

—アメリカの医療制度と「オバマケア」

 オバマケアとは、オバマ政権が推進する米国の包括的な医療保険制度改革の通称。自由診療が基本の米国では医療費が高額になる。公的医療保険制度としては、高齢者・障害者向けのメディケアと低所得者向けのメディケードがあるが、その対象とならない多くの国民は民間の医療保険に加入する。2000年代に入ると医療の高度化が進み、それにあわせて保険料も高額化した。雇用されているときは、雇用者側に保険料を分担してもらえるが、失業してしまうと、個人で保険料を支払うのが難しくなる。これによって中・低所得者を中心に、国民の約6人に1人が無保険者という状態になった。病状が悪化するまで医療を受けない人も多く、結果として国の医療支出が膨らむなどの問題が起きた。これらの問題を解決するため、オバマ政権は医療保険制度改革を最重要課題に位置づけ、2010年3月に医療保険制度改革法を成立させ、2013年10月1日から受付を開始した。民間よりも安い公的医療保険への加入を国民に義務付け、保険料の支払いが困難な場合は補助金を支給する。アメリカ議会の試算によれば、以降10年間で保険加入率は94パーセント程度になると試算している。

2. 医療ITの活用とアカウンタブル・ケア

 米国における医療ITの導入は、2008~2010年ごろから始まった。よりよい医療の提供と、医療事故や重複検査などによる無駄を減らすために医療IT投資が積極的に行なわれたのである。一定の基準を満たすIT設備の導入を国が支援して、医療ITが整備されていった。2010年3月、医療保険制度改革法(いわゆるオバマケア)が成立し、さらにアカウンタブル・ケアが導入されて、ITインフラが広く活用されることになった。

 もちろん、アカウンタブル・ケアの導入以前でも医療でIT技術は使われてきたが、どの程度活用するのかは各医師や医療機関の判断に任せられていた。しかし、アカウンタブル・ケア導入後は状況が一変する。

 「患者のために積極的によいことをすれば医療提供側の収入が増えるというプラスの循環はそれまでなかった。アカウンタブル・ケアが導入されてからは、医療ITをどう有効活用して医療費を削減し、かつ医療の質を上げてインセンティブを得るのか、それを考えるようになりました」

 医療ITとアカウンタブル・ケアは密接に関連している。具体的に医療ITを活用すれば患者にとって、どのようなメリットがあるのか。一つは、電子カルテに代表される個人の医療電子情報の利用(地域医療連携)だ。ある患者が都心のA病院で精密検査を受け、その数日後、離島で急病にかかり小さなB診療所で診察を受けた。B診療所にはMRIもCTもない。しかし、ある程度の医療IT環境が整っていれば、A病院のデータベースにアクセスして検査結果を確認し、医師は必要な情報を得て患者を診療できる。仮にB診療所に適切な薬がなくて別の病院へ行っても、同じように患者情報が共有できれば再検査を受けることなく、必要な薬を処方してもらえるだろう。その結果、追加的な医療費がかからずに済む。

 二つ目は匿名化された医療データの蓄積とその利用だ。匿名化された医療情報がデータベース化され、その情報を医師が診療に利用できれば、より患者の状況に合わせた効果の高い治療方法を比較検討できるようになるはずだ。その結果、質の高い医療を提供できるようになり、患者満足度は上がるだろう。

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 「米国がうまかったのは2段階にしたところです。最初は国が推奨する一定水準の医療ITの導入を促しました。当然IT設備を揃えた医療提供グループが増えます。そして次にアカウンタブル・ケアが出てくると、その医療ITを使ってより良い医療を提供できたら、ボーナスを払うというインセンティブを付けたのです。こうなると医療提供側としては、ますます医療ITを使いたくなる。ここに意味があります。アカウンタブル・ケアと医療ITは実はセットになっています。しかし、日本では医療ITを使ってより良い医療を提供しても、それに対する具体的なインセンティブはまだありません」

 現在、日本でも医療IT導入は進められているが、電子カルテの普及率が頭打ちになっていることに象徴されるように、その活用には多くの課題がある。医療ITの活用によって医療提供量が減れば(たとえば違う病院で同じ検査をする必要がなくなれば)、病院の収入が減る。しかし、米国のように「病院」と「患者」の二者を同じグループとしてとらえ、医療ITの活用による医療効率化と患者満足度の両輪をインセンティブでつなげば、双方にメリットが生じる。それをアカウンタブル・ケアでは実証しつつある。

 日本ではまだ医療ITを導入すれば、どの程度医療費を減らせるのか、どの程度医療の質を向上させられるのかという具体的な議論はされていないと佐藤講師は言う。米国流に「インセンティブを付けます」ということが言えれば、日本での医療ITの導入はもっと進むのかもしれない。そして医療政策におけるトリレンマの解消にも、より早く近づける道筋が見える可能性も出てくるだろう。