世界と自分の「つながり」を認識し、課題解決できる人材を育てたい
東京大学公共政策大学院特任助教 華井和代
インディ・ジョーンズに憧れて世界史教育の道へ
———まず華井先生のご経歴ですが、大学は史学で修士は教育学、前職は高校の先生ですよね。史学では何を?
華井:旧約聖書学です。小学5年生の時に『最後の聖戦』という映画を見て、本気でインディ・ジョーンズに憧れて。彼、実は聖書考古学者なのです。石碑の古代ヘブライ語を読んでいるシーンがあって、「あれになりたい」と思って筑波大学のオリエント史に進学しました。あと、高校生の時に家庭教師、大学時代に塾講師をして、自分が学んだことを教える仕事に魅力を感じ、教師を目指しました。学部で史学を専攻して、それを教育にする手法を修士で学ぶという戦略を立てて大学院に進みました。卒業後は、成城学園の世界史教師になって6年間勤めました。必修世界史の他に、選択世界史という自由な授業を担当して、現代世界の紛争を中心にかなり本気で現代史を教えられて面白かったです。ずっと働き続けるつもりでしたが、女性は多かれ少なかれ抱える問題だと思うのですけど、結婚後、夫の勤務地との兼ね合いがあって仕事を辞めざるを得ませんでした。
———別の学校の先生になる道もあった中で、なぜ公共政策大学院へ進学を?
華井:6年間世界史教師として働く中で、自分が学部や院で学んできた蓄積を出し尽くした感があって、インプットがほしくなったのです。仕事はめったに辞められるものではないので、この機に大学院に通って国際政治をちゃんと学んで、その後で教員に戻ろうと思って公共政策大学院を選び、大学院ではコンゴの紛争資源問題を研究しました。
———なぜコンゴ?
華井:まず、なぜ紛争なのかからお話しさせてください。大学3年生の時に「旧約聖書の地を実際に見たい」という思いでイスラエルに行きました。そこで偶然、パレスチナの難民キャンプを訪問することになって、NGOで支援活動をしている旧約聖書学者の方に出会いました。その時彼女に、「学生の皆さんがボランティアをしようと思っても、あなたたちはここでは役に立たない」と言われました。「だけど、ここであなたたちが見たことを日本に帰って伝えてほしい。日本で支援者が増えて活動を支援してくれれば、私たちはもっと多くの支援ができる。だから、自分が見たことを日本で伝えてほしい」と。なるほど、それぞれの立場でできる役割があるのだなと思いました。だから、高校教師になってからは現代史の地域紛争学習を一生懸命に取り上げたのです。授業の中で、「世界ではこういうことが起こっているけど、日本にいる自分たちも、できることがあるよね」と教えていました。だけど、何年か教えているうちに自分でそう話しながら、疑問を持つようになっていって。よく「遠くの世界で起きていることも自分とつながっている」と言うけれど、それは本当なのか、誰か確かめたのだろうか……という思いが大きくなっていきました
世界と自分をどのように「つなげる」か?
———自分につながっている実感は、正直あまりないですよね。
華井:そうなんですよ。それで、遠くの紛争と自分たちのつながりをちゃんと研究しようと思ったのです。公共政策大学院に入学した2008年には、アフリカの紛争が最も深刻だと思うようになっていたので、研究対象地域をアフリカにしました。その頃、携帯電話にレアメタルの1つであるタンタルが使われていて、それがコンゴの紛争とつながっている……という問題を取り上げる開発教育教材があったのです。その教材を見て、無性に、それが事実だと誰か確かめたのかが気になりました。世間では、自分たちが携帯をあまり買い替えないようにすると良いって言うけれど、それが本当にコンゴで起きている問題の解決につながるのか?と。それで、この問題を調べようと思って公共政策大学院で2年間頑張りました。でも結局、たった2年では謎は解けなくて。このまま卒業したら私はこの謎を抱えて一生生きていくことになると思って、博士課程に進むことにしました。東大の新領域に進学してから4年間、ひたすらコンゴのことを研究しました。
私が調べたのは、コンゴで一体、何が起きているのかということと、それに対して国連が何をしたのか、NGOや企業が何をしたのか、アメリカ政府が、日本政府が何をして……というように、アクターごとに何をしたのか、コンゴから日本までの長ーいチェーンを一つずつ地道に追っていったのです。そして、最終的には、やっぱりつながっているという結論に達しました。自分自身がようやく分かったと納得できるレベルまで謎が解けたので、博論を書いて大学院を出てきました。その博論を本にまとめたものを去年11月20日に出版したんです。
それから、コンゴの紛争資源問題の研究と並行して、地域紛争をどう高校生に教えるかという教育研究活動も続けています。これまでに、リビア、コンゴ、シリアの問題を取り上げる特別授業をして、高校生の認識を分析しました。
———それは面白いですね。高校生に教える時のメソッドはあるんですか?
華井:はい。公共政策には通称「国連ゼミ」という、北岡伸一先生と外務省の松浦博司先生による授業があって、私は受講生とTAとで4年間その授業を受けました。その手法を高校生に当てはめて「模擬安保理」というロールプレイング教材を開発しました。まず、5大国のアメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアと、日本を必ず入れて、あとはその問題が起きた時の非常任理事国と当事国で、1クラスに10グループを作ります。そして、実際に国連安保理で行われた会合の議事録データから情報を抽出してきて、対処方針として各国に与えるんです。それで、「この決議案を通すか通さないかを議論しましょう」と、みんなで議論して安保理の措置を学ぶというのをやっています。生データをもとに実践するのでかなり白熱しますね。
去年は模擬安保理でシリアの難民問題を扱ったのですが、とても興味深かったです。生徒たちは難民に対して同情するし、かわいそうだと思うし、心が痛む、つらい、こんなこと許しちゃいけないって思うのです。でもその後に、「じゃあ、あなたはその痛みを分かち合えますか?」って聞くと、分かち合えないんですよ。同じように、コンゴの問題でも「コンゴの人がかわいそう。こんなのつらい、耐えられない。だけど私、携帯は手放せません」って答えるし、「シリアの難民かわいそう、なんてことだろう。こんなこと許しちゃいけない。私がシリア難民だったらヨーロッパとかに移住して働くのに」と言うのだけど、「じゃあ、シリア難民を日本で受け入れますか?」と聞くと、30人中20人が「受け入れない」と答えます。
———それはまさに、どうやって自分のことにつなぐかの部分の問題ですよね。
華井:そうなんです。
「正しく恐れる」ことができない、現代の日本
華井:最近、私が感じているのが、今の日本は、正しく恐れることができてない社会になってきているということです。メディアがすごく不安を煽るじゃないですか、「今は経済不況で、経済が破綻するかもしれない、日本やばいぞ」とか、「新安保法制ができたから、これから日本は戦争の道に突き進むのだ」とか、「テロが日本にも入ってくるぞ」とか。その影響なのか、生徒たちが持っている恐怖感がすごく大きくなっていて、そこから「自分はテロに遭いたくない」、「自分の生活は壊したくない」という、自分のテリトリーを守る意識が特に強くなってきていると感じます。この考え方を一つひとつ丁寧に紐解く作業が教育界には必要なのですが、それができていないのが社会科教育の問題点じゃないかと思っています。
———「正しく恐れることができない」というのは?。
華井:何が恐れなければならないもので、何は恐れなくていいものかということを、きちんと切り分けられないところから来ると思います。リスク認知の問題として、恐れるべきでないものを恐れるがために、それが実現してしまうっていうこともあり得るので、何をどのように恐れるべきなのか、判断力を付けることが必要じゃないかと思います。最近だと、スーダンへの自衛隊派遣とかは、安保関連法を詳しく読んで、この部分がこういう風におかしいっていう議論をきちんとしないといけないと思うのです。それをせずに、丸ごと全部だめというのは、思考停止状態ですよね。本当ならこれぐらい守っていれば大丈夫という自分のテリトリーがあった場合にも、それを必要以上に大きく取って守るようになってしまう思考状態に、生徒たちが入っているのを感じます。
私は社会的課題と自分とのつながりを3つの「つながり」で定義しています。1つは問題が起きる原因に自分たちがつながっているという、「問題とのつながり」。もう1つは自分たちが何か行動することによって問題解決に寄与できるという、「問題解決とのつながり」。あと、3つ目は人間の尊厳という意味での「形而上的なつながり」。この3つ目も結構大事なのですが、今の日本社会では、直接につながっているものに関心が行き過ぎている感があるように思います。
———GSDMに参加されて、もう2年ですよね。GSDMはどうですか?
華井:2017年3月末で丸2年です。私は楽しくやっています。1年目もいろいろなことがあったのですけど、2年目に新・学生主導プロジェクト(SIP)を始めたこととか、学生のやりたいことを実現できるように一緒に取り組むのは面白いです。人の世話をするのがすごく好きなのです。人って1人の人生しか生きられないじゃないですか、基本的には。でも人の世話をしたら、自分だけでは経験できないものを一緒に経験させてもらえるから、面白いなと思います。世界史を学ぶと、1人の人間の一生では経験できない、多くの人間が長い年月をかけて作り上げてきたものが学べます。世界史が好きなのと、教育に携わるのが好きなのは、私にとっては同じことなのです。
———もう、インディ・ジョーンズにはならなくていいんですか?
華井:すごくなりたかったんですけど、でも、最近はなんか満足してきました(笑)。昔はもっと世界に出ていきたいという思いがあったけど、最近は日本国内にいても、自分が世界とつながっていることを感じられるし、影響力のある活動ができているので。コンゴの紛争資源問題をこの先も研究していきたいのと、あと、やっぱり教育をやりたいですね。なので、紛争資源問題の研究と教育、この両方ができて、あとは家から通えること(笑)。それさえ確保できれば、どこへでも行って何にでもなろうと思います。
<インタビュー 岸本充生、記事構成 柴田祐子>