岩本康志

———先生は京大と阪大と一橋大と東大という4つの国立大学でお仕事をされていますが、これは珍しいですよね。

岩本:たしかに、周りを見てもあまり聞いたことがありませんね。私は出身が四国の高知なのですが、大学を選んだのはもう35年以上前かな。あの頃は飛行機が一般的ではなく本四架橋もなくて、高知から東京は連絡船と鉄道を使って10時間かかったんです。なので、東日本を遠く感じたこともあって自由な学風の京都大学に憧れて受験しました。当時、経済学では大阪大学が有力な研究者を集めて「第2期黄金時代」といわれていた時期だったので、大学院に進学するところで大阪大学に移りました。それで最初の職は大阪大学で得て、その後、京都大学に戻りました。京都大学に骨を埋めるのかなと思っていたのですが、一橋大学からお誘いがあったときに家族の事情もあって東京に移って、その後に東京大学に移ったという流れです。

一方で反省点としては、私は20年間霞が関の官僚を経験したのですが、これだけ世の中にたくさんの情報があるのにもかかわらず、そういった情報を政策設計だとか最終的な意思決定だとか、そういったことに十分使えていないと。その結果、意思決定の質が下がったり、本来あるべき政策がうたれていなかったり。よくあることとしては、政策の基本的な方向は正しいのだけれども、政策の最後の設計に間違いがあるとかですね。それから、何かのポイントに重点的にリソースを投入するまでは正しいんだけども、そこから後、個別のターゲットの設定が間違えていたとか、そういった失敗の場面をいくつも見てきました。私としてはそういったことに対して、自分なりに新しい技法だとか方法論を提供することで貢献はしていきたいというふうに考えています。

———4つの大学は、それぞれ違いはありましたか?

岩本:ありましたね。やっぱり歴史で大学の風土が作られているということはあると思います。大阪大学と京都大学はもともと距離の近い旧帝国大学同士なので、そんなに違いは感じなかったのですけど、一橋に来たら随分違いました。一橋の前身は高等商業学校で、帝国大学とは出発点が違うんです。開校から100年以上経っているんですけれども、歴史というものが今の大学の姿にも影響を与えていることを感じましたね。

———専門分野のお話を伺いたいのですが、岩本先生は幅広い経済学の分野でご活躍されていますが、あえてご専門はと言うと何になるのでしょうか?

岩本:私は「財政学」だと言っています。財政は、非常に幅広い分野が絡んでくるので、財政学を研究していると、おのずと研究分野が広がるんです。私はいろんなことに関心があって首を突っ込むタイプだったので、かなり幅広く研究をやってきたかもしれないですね。一つの課題で論文を1本書いて、うまくまとまったら次に行く。そういうスタイルで今までいろんな課題の論文を書いてきたので。そういった意味では、ほかの人に比べて「専門はこれだ」というのがちょっと絞りづらくなっているのかと思います。

———先生のようにいろんなトピックをやられるのは、経済学者では珍しいですよね。

岩本:まあ、そうですかね。良し悪しは別にないと私は思うんですけどね。経済学をどう定義するかというと、経済という研究対象で学問を定義するよりは、むしろ経済学的な考え方という方法で定義することが一般的です。そういう経済学的な考え方を経済以外の対象や問題に適用する人もたくさんいます。それが、経済学の社会への貢献だと思っているわけです。私もそういう考え方に共感しています。ただ、経済を離れていくと、経済学を一から適用して、何もないところから研究を始めることになってしまうのですごく難しい作業になりますけどね。

———例えば、防災や医療といった分野の経済分析は経済学者でない人が実施している場合が意外と多い印象があります。経済学者がもっと積極的に入っていったら良いのにと、個人的には思っているのですが。

岩本:まあ、それは経済学者にとってはしんどいんですよね。そこに経済学を適用して、経済学の考え方をその分野に広めていかなきゃいけないということだから。ある程度、研究法ができていて、それをすんなり使えばいいということではなく、経済学をちゃんと使いこなせる能力がないと、なかなかうまく研究できなくて、問題を解けずに挫折してしまうことになりかねません。取り組む人にとって、やりがいはあるんですけれども、非常にチャレンジングなことでもあるんですよね。

———GSDMでは自然科学系や経済以外の社会科学系の学生にも経済学のイロハを知ってもらうということも重要だと思うのですが。

われわれの生活は市場経済のもとで動いていますよね。市場経済の特色は知識の活用にあります。一人一人の個人が持っている知識は限られていているけれども、それぞれ別の知識を持っていることで人類全体を合わせた知識というのは膨大なものになるんです。これは1人の個人では把握できないものですが、それらを全体としてうまく活用するというのが市場経済の仕組みなのです。

例えば、私の手元にボールペンがあるのですが、私はこのボールペンの作り方に関しては何も知識を持っていません。けれども、お金を出せばボールペンを買えて、こうやって使うことができる。一方で、このボールペンを作っている人は、ボールペンに関しての技術的な知識を持っているけど、その代わり私が持っているような知識というものは持っていないということです。私はこのボールペンを作っている人の知識に助けられているし、ボールペンを作っている人は他のさまざまな人の知識に助けられているということです。

それぞれの個人はお互いのことを何も知らないで活動しているのですが、うまくボールペンが必要なところにちゃんと届くような形になっているというのが、市場経済の仕組みなんです。そういう仕組みを知ることで、自分がやっている仕事や活動というのは、自分がまったく知らない人の知識に支えられていることに気付くわけです。

———自然科学系や経済学以外の社会科学系の学生がGSDMを通して経済学の基礎を学ぶ意義は、そのほかにどのようなものがあると思われますか?

岩本:「経済学的な考え方」を少しでも身につけてもらえればいいかなと思いますね。それは理系の学生さんの将来にとっても、非常に役に立つことがいろいろとあると思います。経済学的な考え方の第一は、平たく言えば、コスト意識が身につくということです。経済学の非常に大事な概念に「機会費用」があるんですが、これはり何をするにしても、それに伴うコストが生じるということですよね。コストというと通常は金銭的な費用を考えますが、金銭が発生しない費用というのも存在していて、それも大きいんですね。例えば、学生さんにとっては博士課程の3年間、大学にいるということは、その3年間、働ければ得られたであろう所得を諦めているということになり、それにはものすごい費用が発生しているので、この間の時間を有効に使うことが大事です。

他に、研究の場合でもそういうものが生じますね。実験して何か物を作るにあたっても、物を作るためにはそれぞれの材料に関して費用がかかっています。そういった目に見える費用に加えて、目に見えない費用をちゃんと把握することが大事です。さらに、費用だけではなく、それが何を生みだすかという便益をあわせて、最終的に何をするかを決めていくという考え方が経済学の基本にあります。理系の学生さんも聞いたことがあるかもしれませんが、幅広い分野の意思決定に応用されるオペレーションズ・リサーチという分野は、初期には数理経済学者が重要な貢献をしています。

二つ目は、誰でもみんな、経済の活動をしているわけですよね。日々、お金を遣い、職を持てばお金を稼ぐことで、個人として経済に関わっています。でも、そういった個人から見た視点ではなくて、経済社会の動きというのを俯瞰する、あるいは、客観的に分析することで、視点が違うと物事が違って見えるということを学べると思います。また、自分がかかわっている色々な研究活動を、経済の仕組みを勉強することで客観視できるようになると思います。理系の人だと、自分のやった研究や自分の作ったものが社会にどのようなインパクトを与えるのかということを、自分の研究のところから見える範囲だけじゃなくて、ちょっと離れて客観的に俯瞰的に見えるようになる、そういう視点を持てるようになると思います。経済学に限らず社会科学を勉強すれば、ざまざまなものの見方が得られるのではないかと思います。

よく基礎研究が先なのか、あるいは応用研究もしくは社会に触れることが先なのかという質問がありますが、それは必ずしも答えがあるとは思いません。どういう研究のアプローチをとるか、どうやって自分を伸ばすかというときにも、まず社会に触れることを重視して問題意識を蓄えた上で自分独自の研究を展開する場合もあるでしょうし、あるいは基礎的な技法をまず勉強してから社会に触れる、そういうスタイルの学生も居ていいと思います。ただ私の経験からしますと、どちらが先か後かは学生の選択でいいと思うのですが、最終的には両者が組み合わさらないとGSDMの目指す人材の育成もできないし、その学生の専門領域においても本当に意味のある研究はできないと思います。

<インタビュー 岸本充生、記事構成 柴田祐子>