レジリエンス工学で、危機に強い日本へ

東京大学大学院工学系研究科教授 古田一雄

同時多発テロや東日本大震災など、危機に際して社会システムの持つ回復力のことをレジリエンスと呼ぶ。政府が国土強靭化に取り組む現在、領域横断的にリスクマネジメントを図るレジリエンス工学の重要性はいや増している。

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レジリエンス

危機に対する社会の弾力性をあらわす「レジリエンス」

古田一雄教授
photo:Ryoma.K

———古田先生はレジリエンス工学研究センターのセンター長を務めておいでです。レジリエンスという言葉はまだ一般の方にはなじみが薄いと思うのですが、どういった考え方なのでしょうか。

古田: レジリエンスとは、日本語にそのまま訳すと「弾性」といいます。「弾む」「弾力」の弾ですね。けれどもっとわかりやすくいうと、回復力とか回復性とか、そういうことを意味しています。
もともとは、かつて生態学の分野で使われていた専門用語なんです。環境が変化したときにも生物種が絶滅せずに新しい環境になじんで維持されていく、そういう生態学の概念からきている言葉なのですが、その後、防災などの分野でも使われるようになってきました。ここでは、たとえば大地震のような危機的な状況になってもシステムが壊れないで保たれる、被害が出てもそれを小さく抑えられる、あるいはその被害が早く回復する、そういうような意味でレジリエンスという語が使われるようになっています。
それから臨床心理の世界では、同じショックを受けてもPTSD(心的外傷後ストレス障害)にならない、トラウマが残らない、そういう人がいますので、この精神的な強靭性についてもレジリエンスという言葉を使っています。
私が研究しているのはシステム安全の分野なんですが、特に人間や組織の関わる安全の問題について考えています。そういうところでは従来型の機械的な安全工学、信頼性工学がどうもうまく適用できないケースがある。そこで新しい概念として、このレジリエンスというものが出てきました。とりわけ組織の柔軟性などを考える分野からこのレジリエンスという言葉が使われるようになって、安全の新しい考え方として注目されるようになってきているわけです。

3.11をきっかけに、日本でもレジリエンスという言葉が広まりつつある

古田: 日本でレジリエンスという言葉が非常にさまざまなところで聞かれるようになったのは、3.11の東日本大震災以降です。ですがそれ以前にも、先程いったようなヒューマンファクターという分野、つまり人間による事故の被害を最小にくいとめる方法論については2000年ごろからいろいろといわれていました。私は原子力についても結構やっていたんですが、日本でいうと1999年の東海村JCO臨界事故などから、だんだんレジリエンスという考え方が入ってきたと覚えています。
最近ではやはり東日本大震災、それから福島の原子力事故についてレジリエンスという言葉が使われています。ああいうふうに想定の範囲を超えたような事態になったときに、被害は避けられないけれども、じゃあその被害を受けた後にどうやって迅速に対応するか。そういうところからレジリエンスという考え方が出てきているんです。
いま、震災をふまえて政府は「国土強靭化」というリスクマネジメントのプロジェクトを進めていますが、それを英語では「ナショナル・レジリエンス」「レジリエンス・ジャパン」というふうに表現しています。
アメリカではやはり9.11の同時多発テロの衝撃が大きかったですね。それから、リーマンショックという経済上、国際金融上の大きな出来事もありました。震災のような自然災害だけでなくああいったテロや金融危機なども全部ひっくるめて、被害の発生が避けられない緊急事態に対処して、ショックに耐えられるような社会システムをつくるということがレジリエンス工学の目指すところなんです。

経済や温暖化などの環境変化にも、レジリエンス工学は適用できる

———被害をいかに最小限に抑え、回復させるかという方法論がレジリエンス工学なんですね。そのレジリエンス工学における東京大学の強みは、なんなのでしょうか。

古田: レジリエンスというのは非常に分野横断的な、trans-disciplinaryな対応が必要な領域です。そういう意味では、東京大学は総合大学ですから、レジリエンス工学に求められる総合性という点で強みがあるといえるでしょう。このGSDMプログラムにも東大の中のさまざまな研究科が関わっているわけですが、このように分野をまたいだ知が求められる分野では、東京大学が研究を行うメリットが十二分にあると思います。
また、ここまでは主に災害対応についての話をしてきましたが、レジリエンスというのは必ずしも災害対応だけじゃなくて、もっと非常に緩い環境の変化にも適用できるものなんですよ。たとえば世界経済だとか、地球温暖化だとかといった社会環境の緩やかな変化に対しても、です。社会変化にどうやって対応して、問題解決して回復、適応していくかといったところまでをレジリエンス工学は包括しています。
そういう意味からすると、あらゆる社会問題の解決ということに対して俯瞰的な視点を持ちながらも専門性の高い人材が育っていけば、いろんな分野で活躍できるのではないでしょうか。

古田一雄教授
photo:Ryoma.K

「安全」と「安心」のせめぎあいはなぜ生まれるのか

———お話の中に出てきた「安全」は現代社会の重要なキーワードの1つだと思われますが、日本では同時に「安心」という言葉もよく聞きます。「安全だといわれても安心できない」といった行政と市民のあいだに生じるギャップについては、どうお考えですか。

古田: まずこの問題については、安全というものの定義が分野によっていろいろと異なっている、という背景が挙げられると思うんです。ですから、専門家といわれる方々のあいだでもバックボーンが違えば議論がかみ合わない、ということがいくらでもあるんですよ。けれども私のような技術屋の立場からすれば、安全というものは合理的に定義することができて定量的に評価できる、そういう概念なんだと考えています。
それに対して安心というのは、もっと主観的な、あるいはもう社会性を含んだような概念になってきますよね。ですから安心というものが関わってくると、いわゆる純粋技術だけでは解決できないような問題になってくると思います。そして「なにが安全なのか」ということをわかってもらうのにも、同じく社会的な問題が関わってきます。ですからその辺はなかなか難しいですけれども、安全と安心とはある程度切り分けて考えないと非常に混乱してしまいますね。
たとえばかつてであればBSE(狂牛病)の問題や、いまであれば福島の除染の問題、被曝線量を年間1ミリシーベルトにまで下げるといった話のような、安全と安心のせめぎ合いみたいな問題というのはいくらでもあるんです。
そしてこれらは技術屋、あるいは専門家、科学者が合理的に考えて市民に対して「こうなんです」と言いきったところで、それで割り切って納得してもらえるような問題かというと、その範囲を超えてしまっているところがあるんですね。ですから、安全だけでなく安心ということも考えるならば、ある意味で政治的な問題をはらんでくるわけです。このことを、技術側の人間もこれからはもっと認識しないといけないんでしょうね。

古田一雄教授
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専門性を育てつつも、それにとらわれない柔軟さを持ちつづけてほしい

———このグローバルリーダー養成プログラムでは、どういった学生を募って、どのように学んで変わっていってほしいという思いでいらっしゃいますか。

古田: 必要なのはやっぱり、理科系、文化系といった従来型のタコツボ的な固定観念にとらわれていないことだと思います。そういう人材がこれからますます求められていくでしょう。「私は文系だから」あるいは「理系だから」といって狭い専門分野にこもっているんじゃなくて、いろいろな領域についての関心を持って知識、スキルを深めていくような方が必要だと思っています。
ただし、だからといって広く浅くといったことではないんです。やはりある特定の専門分野に関しての、しっかりとした専門性の高さがどうしても必要です。専門性は持っているんだけれども、そこにとらわれない柔軟な視点、柔軟な価値観、そういう素質を持った方にぜひここで学んでほしいですね。
特に私は工学系にいますので理科系について眺めてみますと、理工系の学生にもやはり、最終的な技術の社会への実装とか、社会的な課題の解決とか、そういうことについてもっと関心を持ってほしいなと考えています。
また、これはこのプログラムに限った話ではなく、学生さんには広い視野を持って世の中を見ていただきたいな、とつねづね思っているんです。別に仕事や学問でだけじゃなくて、生きていれば一般の市民生活者として、さまざまな生活の場面、人生の場面で意思決定しなければいけないことがたくさんありますよね。民主主義の国ですから、投票に行ったら自分で決めて投票する、これだって意思決定の1つです。
そういった意思決定において、どういう言説が信用できてどういう言説が信用できないのかを見極めなくてはいけない。狭い視野で考えているとだまされてしまうことだってあるかもしれません(笑)。ですから、若い人にはとにかくいろいろな分野に興味を持って、広い視野で考えていただきたいですね。

いまの世の中では、1つの分野の力だけで解決できる問題などない

古田: 先ほどもいいましたが、日本には、なにかにつけて文化系、理科系って区別しすぎるところがありますよね。高校の後期からどっちかに分かれさせられて、たとえば「文化系だから数学はできなくてもいいんだ」とか「理科系は歴史だとか哲学だとかは知らなくてもいいんだ」とか考えてしまう。なんとなくそういう風潮があります。
それから伝統的な大学教育というのは、専門性を高めることを第一の目標に置いてやってきましたので、自分の専門以外のところに手を出すと、旧来型の価値観からはあまりよく思われない。そういうこともあるわけです。ですが私はもうどちらかというと、なんでもありだと思っていますから(笑)。学生に対しても何でもありだぞ、という感じで接しています。
レジリエンスもさることながら、安全問題全般について、いまの世の中ではたった1つの分野だけで解決できることなんてありません。ですから安全の問題だとか環境の問題だとかを解決しようとするのであれば、どうしてもそういうtrans-disciplinaryな視野が必要不可欠になってくるでしょう。1つの領域からしか考えることができないと、そこを突破できない。ですから広い視野を備えた人材を、まさに領域横断的なこのリーディングプログラムで育てていきたい、そんなふうに考えています。

(構成・インタビュー:松田ひろみ)