鈴木寛教授
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———鈴木先生は元文部科学副大臣であり、政府のグローバル人材育成推進会議でも幹事会座長も務められました。教育・行政・政治のすべての分野で実務経験を持つ鈴木先生から見て、グローバル人材育成にはどんなプログラムが必要でしょうか。

鈴木: 「グローバル人材」という言葉は、いま一種のキーワードのようになっていますよね。図らずも私はその火付け役の1人になってしまったのかな、と思っています(笑)。かなり以前からグローバル人材育成に関わってきましたから。
まず、いまなぜグローバル人材なのか?ということですよね。インターネットがここまで普及して、距離の壁というものを感ずることなく、世界中の人たちと常にリアルタイムでつながっている時代です。やはりこの10年、15年で、グローバル化が非常に進んできた。
我々の時代とは違って、学生の皆さんでも思い立てばすぐに航空券を買って海外に出かけられる。まだ少ないとはいわれてはいるものの、キャンパス内にも留学生の方たちがたくさんいらっしゃる。こうした本格的なグローバル時代を迎えて、教育のあり方も変えていかなきゃいけない、そう考えています。
とはいえ難しいことをいうよりも、まずは「さまざまな国、さまざまなバックグラウンドを持った人たちと一緒になにかをする」ことの頻度・回数・時間を増やしていくことから、スタートを切っていけばいいと思うんですよ。

鈴木:  では、なぜグローバル人材が必要なのか。日本というのはすごくいいものをいっぱい持っているし、優秀な人材を擁する国なんです。とりわけ日本の科学技術、理科系の教育や研究というのは、いまなお世界でトップクラスです。たとえば東京大学の物理の研究などは、ここ10年の論文の引用回数を見ても世界で2番目に多いんですよ。こういったことが物理だけではなく、東大の理科系にはいくらでもあるわけです。
しかしながら日本というのは、グローバルコミュニケーションは必ずしも得意ではなかったんですね。このために日本の持っているポテンシャル、そして人材が十分には評価されていない。これはとても残念なことです。ですから日本のいいところをもっともっと世界の人に知ってもらって、世界の人たちと一緒になにかをつくり上げていこう、そんな思いを抱いています。

———鈴木先生は長年、日本の学生がもっと留学しやすくなるようにと政策提言をされていますが、先生の考える「グローバル」そして「リーダー」の要件とはなんでしょうか。

 「グローバル人材」というのは、言語を含むさまざまなバックグラウンドの異なる人たちと一緒にコラボレーションできる人材のことを、そう呼んでいるんです。そして「リーダー」というのは、多様な人たちをチームとしてまとめ、各々のいいところを引き出しながらチームワークでなにか新しいものを創り出していく、そのコンダクター(指揮者)となれる人のことではないでしょうか。
コンダクターといえば、私は大学生の頃に音楽をやっていたんです。六大学合唱連盟の理事をしたり、駒場小劇場でミュージカルの音楽監督をしたりと、学生時代はむしろそっちのほうが中心だったといえるかもしれません(笑)。しかしそこから学んだことはものすごく多くて、後の人生にすごく役立っているんですよ。

———音楽が役に立ったとは意外なお話です。クラシック音楽と、鈴木先生の務めてこられた官僚や政治家といったお仕事は、一見無関係に思われますが、どういうことでしょう。

鈴木: いやところが、音楽から学んだことは非常に大きいんですよ(笑)。たとえばオーケストラというのは、それぞれ専門の違う、異なる楽器のスペシャリストたちの集団ですよね。そしてそこに指揮者がいるわけです。
これまで幾人ものすばらしい指揮者にお会いしてきましたが、指揮者というのは不思議な仕事です。ヴァイオリンを弾いてもヴァイオリニストにはかなわないわけだし、ホルンを吹いてもホルニストにはかなわない。けれども指揮者がいなければ、オーケストラは成り立ちませんよね。
これを日本の人材にあてはめて考えてみますと、すばらしいヴァイオリニストやすばらしいトランペッターが、もういくらでもいると思うんですよ。理科系にしても医科系にしても、その専門性は世界にまったく引けをとらない、むしろ世界をリードする水準にある。
ただ、いまの日本の状況ではみんながバラバラに吹いているように見える。場合によると奏でている曲すら違っているかもしれない。ヴァイオリンはベートーベンを弾いているのに、トランペットはマーラーかなんかをやっていて、という状況です。みんなが1つの同じ曲をちゃんとハーモナイズして奏でていけば、ただちにすばらしいオーケストラに変身するでしょうに、もったいないことです。
そのために足りないのが、つまり「指揮者=コンダクター」という役割だと思うんです。ですからこのGSDMが、社会のコンダクター養成スクールになっていけばいいなと思っているんですよ。

鈴木寛教授
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———日本の個々のプレイヤーが一流だからこそ、それらを統合、つまりオーケストレートする人材さえ生まれれば飛躍が見込めるということですね。

鈴木: そうだと思います。じゃあそのときに、社会のコンダクターに求められる条件は何だと思いますか? これも、実際のオーケストラからヒントが得られると思うんです。指揮者コンクールの一次審査では、オーケストラがわざと間違えてみせて、そのミスを正しく見つけることを求められます。どの楽器の誰が、第3楽章の63小節目の3つ目の音が1拍遅れた、なんてことを当てないといけない。
これをするには誰よりも「耳」がよくなきゃいけないんですよ。指揮者がヴァイオリニストよりトランペッターより勝っているものはなにかというと「耳のよさ」です。いろんなエキスパートが発している音を正確に聞きわけて理解する能力が、まず非常に重要なんですね。
これを社会にあてはめると、世の中で発せられるいろんな現場の声、そして専門家からの情報というものを正確に聞きわけていく能力がコンダクターには重要だ、ということです。つまり、物理の論文でも原子力の論文でも経済学の論文でも、あるいは哲学の講演でも「聞いてわかる」という能力が求められている。なにもそれぞれの分野について講義ができる必要もないし、論文が書ける必要もない。だけど聞いてわかる、読んでわかる、というレベルの見識が求められるわけです。

———なるほど。自分が実際にプレイするわけではないけれど、プレイヤーの音を聞きわけて内容や方向性を理解し、それぞれを適材適所に配置する、そういう力がこれからのグローバルリーダーには求められているということですね。

鈴木: まさにそうです。ですから、専門家の論文やレクチャーにふれたり、個別にヒアリングをしたり、研究や開発の現場、社会問題の起きている現場に赴いたりする中で、どれだけの情報を引き出せるか、そういう力がとても大切です。
それから、なにか新しいものをつくるにはフィロソフィやコンセプトがものすごく大事なんです。これも音楽を参考に考えてみますと、指揮者というのは、哲学や芸術論、音楽論というものに深く通じている。そういう理解の深さがあるからこそ、仮に25歳の指揮者であっても60歳の名ヴァイオリニストを指揮することができるんです。
これだって行政や国際機関で働くリーダーについても通じることですよね。さまざまな人たちをコンダクトするために、常に思索しつづけ、自分なりの哲学を持っていることが必要なんだと思います。

———理解力の他に、自分の軸や哲学も重要であると。

鈴木: はい。そして歴史についての洞察も求められます。指揮者というのは、演奏する曲をつくった音楽家の人生、他の作品、当時の社会背景といったものについても深い知識を持っているものなんです。作品の生まれた土地にも何度も足を運び、歴史学者顔負けの深い洞察を持っている。これもまた、社会のコンダクターに求められる資質に通じるでしょう。

鈴木寛教授
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———グローバルリーダーにとっては、社会問題の背景や歴史について知識と洞察が必要だということですね。ところで、リーダーというのは統括する立場です。プレイヤーではないがゆえの困難やもどかしさもあるのでは?

鈴木: そうですね。指揮者というのは、イメージしたものを実際の音楽にしていかなければいけない。けれどそのとき指揮者は、自分では1つも音を出せないんです。自分は音を出せないが、メンバーには音を出してもらわなきゃいけない。つまり、自分のイメージをどれだけオーケストラメンバーに正確に伝えていけるかが勝負で、やはりここでコミュニケーション能力というものが重要になってきます。
しかも、大きなオーケストラになればなるほど、さまざまなプレイヤーが集まるでしょう。ドイツ人もいればフランス人もいる、日本人もいれば中国人もいる。そうすると同じイメージを伝えるにしても、ドイツ人の彼にはこのようにいえば伝わる、フランス人の彼女にはこういう例え話のほうが伝わる……と、伝え方を変えたほうがよいこともある。そのためにコミュニケーションの引き出しをたくさん持っていて、相手とTPOにあわせて伝えかたを変えていくことが大事なんです。そうやって自分の考えをシェアして、みんなでリハーサルを繰り返しながら本番に臨むんですよ。
そして最後の演奏会、つまり実地の場面でどれだけのものを引き出せるか。まずはリズム、テンポ、そして音のバランスといった、個々の専門プレーヤーたちの関係をシンクロナイズさせることが大切です。そしてその上でハーモナイズさせて、すばらしい響きをつくっていく。そのときにはホールの特性により音響の違いや、観客の好みなども加味しなくてはいけない。つねにその場その場の環境やそこからの反応も計算しながら実行していくんですね。
つまり、コンダクターというのは「ベストな関係性をつくっていく」ことのプロフェッショナルなのです。これはそのまま、社会のリーダー人材にもあてはまる要件でしょう。

———グローバルリーダーという言葉にはイメージがつかみづらい一面もあるのですが、そうやって指揮者をイメージして考えると、求められている要件が非常にくっきりと見えてきますね。

鈴木: そうでしょう。社会のコンダクターというのは、非常におもしろい仕事だと思いますよ。指揮者というのは不思議なもので、オーケストラの中で唯一、お客さんにお尻を向けている存在なんですよ。それはつまり、指揮者はオーディエンスの代表者でもある、ということ。ですからコンダクターには、オーディエンスとエキスパートとの接点に立っているという自覚が必要です。社会と専門家とをつなぐリエゾンなわけですね。
オーディエンスが求めていることを理解し、プレーヤーが持っているすばらしいものを理解して、そこをベストマッチングさせる。日本には優れた指揮者教育があり、小澤征爾さんをはじめすばらしい指揮者を輩出してきたんですから、これからは本物のソーシャルコンダクター、ソーシャルプロデューサーと呼べる人材を輩出していきたいと思っています。そのための実践的な教育プログラムをつくっていけるよう、ここ東京大学の公共政策大学院で挑戦していきたいですね。

(構成・インタビュー:松田ひろみ)