人間社会の割り切れなさを理解し、幅のある科学者に

東京大学大学院情報理工学系研究科 教授 坂井修一

「人間が安全に暮らせるような技術」とは何か。社会システムを含めた全体的な設計を考えてこそ、今の時代にIT社会の安全とレジリエンスを守ることができる。基礎的な技術と知識、そして人としての幅を持つ知識人がこれからの社会を作っていく。

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レジリエンス
坂井修一
photo:Ryoma.K

———坂井先生が長く情報工学の研究に携わってこられたモチベーションの原点や経緯、また今後の夢などを教えていただけますか?

坂井:私はコンピューターのシステムと応用という、非常に移り変わりの激しい分野の研究をしてきました。研究を始めた1980年代はとにかく速くて快適に動くコンピューターを作ることを目指していて、今までにはなかったような新しいものを作るという楽しみがあったのですが、90年代ぐらいになるとコンピューターやインターネットが当たり前の社会になりました。その辺りから少しずつ方向転換をし始めましたね。IT化というのは一歩一歩、着実に進んだわけではなく、急激に立ち上がって、いろいろな問題を起こしながら発展しているものなので、必然的に社会に不安定が生じてくるわけですよね。そういう中で、本当の人間の幸せみたいなものはどこにあるのかを考えるようになり、自分がやりたいことは、もう快適なコンピューターや速いコンピューターを作ることではないなという気持ちになったんです。90年代というと、ちょうどWindows95が出てパソコンが普及し、さらにインターネットが盛んになり始めた頃なんですが、コンピューターやインターネットって、本来はあまり信用できないもので始まっていると言えるんですよね。そういう信用できない、安全でないものを基盤にしながら、信用できる安全な社会を作るにはどうしたらいいかというような発想に徐々に変わっていきました。もちろん、コンピューターやインターネット、ITの速いもの、快適なものというのも、いまだターゲットではあるんですが、どちらかといえばレジリエンスなどの方に重きを置くようになってきていますね。今は、もう少し時代の幸福感とか倫理観とかを取り入れたような形で自分の学問というものを作っていけたらという気持ちで研究をしています。

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———それは具体的に、どんなアプローチになるんでしょうか?

坂井:基盤となるのは、やはりシステムの技術です。ふつうのITの技術者が考えることに近いところから発想されているんですけれど、例えば、普通に「安全性を高めるような技術」というよりは、マネジメントも含めて「人間が安全に暮らせるような技術と社会の仕組み」のように、もう一回り物事を大きくとらえて考えるということです。人間工学という分野もありますが、社会システムや法律なども含めて、全体でうまく設計できるようなものを考えることかと思います。
例えば、マイナンバー制度ができると、技術的には個人情報を利活用したいけれども同時に個人情報を保護する必要が出てくるので、その両方を実現するために暗号や認証などを一生懸命考えますよね。そのときに、私は法律家や公共政策学の中でも社会マネジメントの分野の方々と一緒に、個人情報保護法やマイナンバー法を含めて、トータルしてどのように設計すれば10年後の技術に対応できるかとか、あとはエンタープライズアーキテクチャとIT技術との一番うまい融合の仕方はどうあるべきかを考える、そういうアプローチです。なかなか論文は書けないんですけどね。でも、そういうところからフィードバックして、技術はこうあるべきだというのを作るのが私の役割だと思って取り組んでいます。

———それは、あるべき姿から技術はこうあるべきだというバックキャストといえそうですね。逆に、今ある技術が進歩していくとこうなるというフォーキャストがありますが、その2つの使い分けや、重きをおかれる点などありますか?

坂井:そうですね。バックキャストをして技術を開発するというのも一つですが、技術の進歩というのは、理性的な部分とそうでない部分があると私は思っています。例えば、AppleやGoogleがやったことというのは、大衆の快適性、生活のスピードアップとかに向かって、法律のグレーゾーンを狙ったような部分もいくらかある。情報をつかむという、そういうフォーキャストはマネジメントあるいは法律の観点から見ればかなりグレーなところがあるわけですね。ただ、それをむげに否定していると、これは今という時代に合わない、人々の欲求を満たさないということになってしまいます。

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———結果、イノベーションが起こらなくなりますよね。

坂井: ええ。イノベーションが起こらないし、あと世の中がみんなそちらの方向に動くので、逆に安全じゃなくなってしまうんですよね。だから、ある種の信用できないフォーキャスティングを見ながら、それをただ否定するのではなくて、使いながらより安全にしていくのも一つの方法論だと思います。皮を1枚被せることで安全になるというのは我々のしばしば経験することですし。わかりやすい例としてウイルス対策ソフトがありますが、それ以外にも、もっとさまざまな深い技術をつかって人々の情報を守ることもそうでしょう。さらにそれをマネジメントしてエンタープライズアーキテクチャのセキュリティーを上げ、人間社会としてより快適かつ安全なものにしていく。そこにさらに法律や保険制度なども含めて考えていかないと、今の時代、もはやIT社会のレジリエンスは確保できないし、安全性は守れないんじゃないかと思っています。

-エンタープライズアーキテクチャ
企業をはじめとする組織体において、組織の目的を効率よく実現するために、組織構造や業務手順、情報システムなどを最適化する手法のこと。