人間社会の割り切れなさを理解し、幅のある科学者に

東京大学大学院情報理工学系研究科 教授 坂井修一

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レジリエンス

———IT社会の安全性やサイバーセキュリティーを考えるとき、「悪意」というものが視野に入ってくるかと思います。この「悪意」を扱うのはかなり難しい問題ではないですか?

坂井:悪意にはレベルがいろいろありますよね。イスラム国対アメリカやテロリストぐらいのレベルになると悪意というより巨大な利害を持った戦いですが、そういうのだけではなくてもうちょっと人間的な、ふと心に抱く悪意とか。私はドストエフスキーの作品に出てくる悪い奴を例に挙げるのが好きなんです。イヴァン・カラマーゾフとか、ニコライ・スタヴローギンとか、ああいう人間臭い、悪意のある者に対して意外に共感を持つこともあります。人間はそういう部分を持つ存在なんだと認めないといけないと思うんです。ああいう何か人間が持つ奥深い悪意のようなものを理解し、時に共感することもあって、かつ、それが自分の中にもあるんだということを知りながら学問をやっていくこと、そして実社会に出ていくということが必要ではないかと思います。こういう話をすることって、理系の学者にはあんまりないかもしれませんが。

photo:Ryoma.K

———人間の悪意をドストエフスキーで学ばれるというのは、情報工学の研究者であり歌人(*)でもいらっしゃる坂井先生ならではですね。

坂井:人間って、やっぱり自己矛盾に満ちていると思うんですよね。公に資することを一生懸命やりたいと思ったり、そうかといえばただただノーベル賞を欲しいと思ったり、ちょっと気に入らない相手がいたらあまり正しくない手段ででも遠ざけたいと考えたり、いろいろ思ってしまう。しかし、そう思いながらも実際にはやらないという状態をいろんなところで作っているわけです。そういう人間的な揺れとか深さとか心の闇というのを理解しないと、安全・安心な社会を作っていくことはできないんじゃないかと思いますね。理科系の人間がみんなそういうことを知るべきかといえば、それは違うかもしれないですが、個人的にはシェイクスピアやドストエフスキーを1冊も読んでない人が人生を語ることはできないと思っていますから。いや、これは本当に(笑)。ただ、誰にでも向き不向きがあるので、全部やれといっても到底できません。すごいプログラムを書く人には、私は到底かなわないと思います。文芸的なセンスというのがたぶん邪魔していて。でもその代わり、他のプログラマーやコンピューターの設計者にはできない情報システムの作り方ができたりもするんですよ。だからある種の競争には負けるかもしれないけど、全然違う場所で、何か新しい方向性を生み出すことは不思議とできるような気がしています。

———サイバーセキュリティーやレジリエンスを考える際に、ITに関する知識だけでなく、心理学,人間工学,国際政治,国際経済など非常に幅広い知識が必要になりますが、どのように人材育成をしていく必要があるとお考えですか?

坂井: 無理強いはしませんが、基礎的な技術のことと、そういう割り切れない人間社会というものとを同時に考えることは、これからますます必要になってくると思いますね。ただ、これには向き不向きがあると思います。だから、その両方ができる人材、つまり人間としてのバランスや将来の社会設計ができて、かつ公正にしっかりと社会に寄与できるような人材を育成するというのは、リーディング大学院、特にGSDMの大きなミッションではないかと思います。学生の皆さんには、本当に社会に資する人材というものになってほしいですね。それにおいては、情報とかレジリエンスとかいうのは格好の分野だと思いますし、大いに期待しております。

photo:Ryoma.K

———今回のリーディングプログラムはどんな学生に学んでほしいとお考えでしょうか?また、どのような人材に成長してほしいなど、学生に求めるものはありますか?

坂井: 人間の幅ですね。GSDMのようなプログラムに参加する人はやっぱり多面的であって欲しいです。ある種の演繹的・構築的な発想がありつつも、ちょっと幅を持った方がいいんじゃないかと思います。ただ、昔は余裕がありましたが今は慌ただしいですよね。競争も本当に短いサイクルでやり続けなきゃいけない点は、若い人にはかわいそうですが、でも人間の幅がないと最後は楽しくないような気がしますね。思考においても大きな幅を持って考えられるといいんじゃないかと思います。
私は東大で今年の春に公開講座(*)を担当して『人間は進歩しているか』というタイトルで工学と医学、経済、法学の研究者が集まったのですが、これがなかなか面白かったんです。その講座を聞いた進化心理学の先生が「私も出たかった」とおっしゃって、その後いろいろな話ができました。こういう点でも、東大というところは結構楽しいところですよ。だけど学生の間は余裕がないので、そこが何とも残念です。いろんなものに興味持って、たまには回り道をしながら行くっていうのが、後で役に立つことはきっとありますからね。その人の置かれている状況の中で、一人一人に合った幅のある生き方があるはずなので、状況に対して上手に適応してもらえたらいいなと思います。
ただ、博士号をとるというのは非常に大変な作業で、ある時はとても近視眼的にならざるを得ないこともありますが、そういう時に自分の世界はこれがすべてだと思い込みすぎないでおくというのは、どこかで頭に入れておくといいですね。

(インタビュー 岸本充生、記事構成 柴田祐子)

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